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CE通訳ガイドコース卒業生からの活動報告

CELで学べば即戦力



お客さまと心が通じあえた時の喜びこそが通訳ガイドの醍醐味

望月 幸枝さん(2008年合格)

【通訳ガイドデビューに至るまで】

 私が通訳ガイド試験に取り組んだ期間は約10年に渡りました。成績が伸びずに悩んだり、不合格通知を受け取って落ち込んだりした度に、「通訳ガイド試験に取り組むことは、私にとって良いことなのだろうか?」という疑問が心に浮かんできました。自分自身に真摯に問いかけ、心の声が「YES」と答えるのを辛抱強く確認しながら、受験勉強を続けました。

 念願かなって遂に試験に合格し、通訳ガイド免許を取得した2009年の春に、通訳ガイド団体の新人研修に参加しました。私は、『いつの日にか必ずガイドデビューをする!』と心に決めて、常に一番前の席に座り真剣に研修に取り組みました。不明点は全て明らかにする覚悟で、質問も積極的に行いました。すると思いがけず、新人研修の最終日に団体の関係者の方から新人向けのツアーのお仕事のお話を頂き、「是非挑戦をしたいです。」と即答いたしました。

(望月さんの通訳ガイド試験合格メッセージはこちら>>)

【お好み焼き屋で知ったガイディングの大切さ~デビュー戦~】

 2009年8月、米国人高校生約40名が13日間で日本各地を訪れるツアーを2本担当しました。1本目は通訳ガイドとしてのデビュー戦でしたので、『ツアーの現場に立っていること』自体がとても嬉しくて、感激で溢れる涙をハンカチで拭いながら、お迎えの成田空港に向かいました。

 幸いにも2本のツアーのコースがほぼ同じでしたので、1本目のツアーの反省点を2本目のツアーで活かすことが出来ました。

 1本目のツアーでは引率の先生方との『翌日の予定の打ち合わせ』がスムーズにいかなかったので、2本目のツアーでは行程表に必要事項(一泊分の宿泊セットを用意する、ユニフォームを着用する、寺院を訪れるため靴下を用意するなど)を全て書き込んだものを用意し、その資料を参照しながら、短時間で効率的な打ち合わせが出来ました。

 また、2本目のツアーでは旅程管理(時間調整、訪問先への到着時刻の連絡、宿泊先・レストランの予約確認など)だけではなく、ガイディングもするように心がけました。ガイディングの有無が旅行商品の価値を大きく左右することを痛切に感じた一件がありました。それは、『朝、京都をバスで出発し、昼過ぎに広島でお好み焼きを食べ、広島平和公園へ行く』という行程の日の出来事でした。ロングドライブでしたので、京都-広島間で、サービスエリアに2度立ち寄りました。1本目のツアーでは、米国人高校生たちが『飲み物以外の自動販売機』(たこ焼きやカップ麺などの販売機)を珍しがり大喜びで食べることを想定しておらず、何も配慮をしませんでした。広島のお好み焼き屋さんに到着した時には、ほぼ全員お腹が一杯で、お好み焼きにほとんど箸をつけませんでした。彼らは、「食べたいけれど、お腹が一杯なんだ」と残念がり、お店の人は、「お口に合わないようですね。」と残念がっていました。私は、「大変な失敗をしてしまった。」と落ち込み、「すみません。私の配慮が足りませんでした。途中のサービスエリアで色々食べてお腹が一杯になってしまったようです。」と、お店の方に謝り、大変惨めな気持ちで40数枚のお好み焼が無残にも鉄板の上に残された店を後にしました。

 2本目のツアーの時には、「同じ過ちを犯してはいけない!」と心に決め、京都を出発した直後から、バスの中で広島風お好み焼きの成り立ちを話しました。終戦直後の日本は荒廃し、人々は主食である米を食べられなかったので、米軍から支給された小麦粉(メリケン粉)と安くてボリュームのあるキャベツを使ってお好み焼きを作ったことや、戦争で父や夫を亡くした多くの女性が生きるため、また女手一つで子供を育てるためにお好み焼き屋を営んだことなど、お好み焼きは広島の戦後復興を支えた貴重な料理であるとドラマチックに話して、お好み焼きに関心を持ってもらえるように頑張りました。また昼時にお腹が空いた状態になるように、「貴方たちの好きなハンバーガーのように、キャベツや豚肉、焼きそば、目玉焼きなどの具が層になっていて、それらの美味しさをグッと薄いパンの間に挟んで閉じ込めて、甘辛い専用のソースをかけて出来たてアツアツを食べるんですよ。広島の名物をちゃんと味わえるように、サービスエリアでの買い食いを控えましょうね。」と話ました。すると、皆、サービスエリアでの買い食いを控え、2回目のツアーでは皆がお好み焼きをしみじみと感慨深げに食べて、残す人はほとんどいませんでした。「美味しかった。アメリカに帰ったら家族に作ってあげたい。」と言ってお好み焼きのレシピをノートに一生懸命メモする人や、「このお好み焼きソースを買いたい」と言い出す人まで出る人気ぶりでした。お好み焼きソースは、お好み焼き屋さんの協力で、小分けのソースを分けて頂くことができ、お客様には大変喜ばれました。また、お店の方も「外国人のお客様で、こんなに綺麗に食べて貰ったことも、これほどまでに喜んでお好み焼きソースを買って貰ったこともありません。ガイドさんありがとう。」と言って大変喜んでくれました。

 帰り際には、気分が高揚した引率の先生がお好み焼き屋さんへの感謝のスピーチと乾杯をし、その後、米国人高校生と引率の先生たちがお店の人たちとそれぞれハグをして、熱気溢れるお好み焼き屋さんを後にしました。

 このお好み焼き屋さんの一件を通じて、ツアーの現場にいる通訳ガイドが、お客様が日本での生活、日本の文化を十分に楽しめるように知恵を働かせてご案内をすることの大切さを知りました。また、訪問先の方々がハッピーだと、それをお客様側も感じ取り、その場の雰囲気が明るく楽しいものになるので、外国人のお客様が十分に楽しく幸せなひと時を過ごせるように、ツアーの受け入れ側の方々、旅行会社のスタッフは勿論、ドライバーや宿泊施設、レストランのスタッフの方々への配慮を十分に出来るガイドになりたいと思いました。

【オープンマインドで乗りきったVIPのF.I.T.(Foreign Individual Tourist個人旅行)】

 2010年9月、外務省招客の米国人1名のエスコート業務を担当しました。

 待ち合わせは那覇空港。「ハイヤーを手配しているとのことだけれど、そもそもハイヤーとタクシーはどう違うのだろう?」ということが分からず、担当の乗務員の方へ電話をし、「今までハイヤーなどの高級な乗り物に乗ったことがなくて分からないのですが、TVで見る黒塗りの車ですか?それとも見た目はタクシーと変わらないですか?」と尋ねて一笑されながらも大変親切に教えていただき、深夜、お客様到着後に無事にハイヤーで宿泊先ホテルへ向かいました。その間に沖縄滞在中の予定の確認し、4日間エスコートを担当する旨を伝えました。「何でも聞いてください。依頼事項は遠慮なく指示してください。」と伝えましたが、お客様が初対面の私に対して警戒心を抱いていることが感じられました。 「このままでは良い仕事が出来ない」と思い、自分の強みも弱みも、つまり通訳ガイドとしてF.I.Tは今回が初めて、ハイヤーに乗るのも今回が初めて、なども含めて家族構成や趣味などを交えて自己紹介をして垣根を取り払うことに努めました。

 翌日は早朝から、沖縄サミットが開催された会場である万国津梁館で、ZEB(環境への負荷が少ない建築技術)に関するワークショップに参加しました。お客様はプレゼンテーションや会議の司会、数々の打ち合わせを精力的にこなし、私は次々と過密になるスケジュールの調整や関係者との連絡、食事場所の手配などを行いました。立食パーティーでは通訳もしましたが、主な仕事はお客様が業務を遂行するためのアシスタント業務でした。初日の懸命な自己紹介が役に立ったのか、お客様は私にご自身の考えや要望を率直に伝えてくださいました。ワークショップの内容は大変高度で理解が追いつかない点が多かったのですが、「近くにいるエスコートがつまらなそうにしていると、お客様は不愉快に思うだろうからなるべく関心を持って参加をしよう」と心がけました。すると、ワークショップは想像以上に興味深く、新たな知識を得る喜びと興奮を味わいました。

 土地勘のない沖縄で業務を遂行出来たのは、旅行会社の担当者や現地スタッフの協力があってこそであり、関係者と良いチームワークを築けたことは大変大きな喜びでした。

 お見送りの際に、お客様から「私は人見知りをするので、エスコートが付くと落ち着かないのだが、貴方の飾らない人柄、率直さ、正直さのおかげで、緊張を和らげることが出来て仕事をし易かった。今回の仕事は大変ハードなものだったが、貴方のサポートに大変助けられた。感謝をしている。」と大変嬉しい言葉を頂戴しました。

 お客様や関係者との出会い、また、仕事を通じて垣間見た新たな世界との出会い、沖縄での4日間は私に通訳ガイドとして働くことの喜びを再認識させてくれる貴重な機会となりました。

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