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通訳ガイド試験合格者の声

<2002年度通訳ガイド国家試験合格者からのメッセージ>


通訳ガイド試験合格者の声 CELで知った学ぶ喜びと日本人の誇り

木脇 祐香理さん

 通訳ガイド試験は難易度が高く、独学での合格はかなり難しい。ために通訳ガイド試験を対象にした予備校がいくつもあり、各々自校をアピールするので、受験者は悩むことになる。一体どれが効率よく合格に結びつくか迷って、とりあえずどこかに属す。それで首尾よく合格すれば良いが、なかなか合格できない場合、苦しまぎれに予備校を渡り歩く者もでる。

 私がそうだ。2校を経て、最後にCELに流れ着いた。そしてようやく合格できた。実に喜ばしいことである。しかし、同時に残念でもある。この矛盾した心情は、もう少しCELで勉強したい気持ちからくる。別れはつらい。

 一体どうしてCELがそんなに気に入ったのか。さて、と振り返り考えてみる。

 CELは、まさに学舎であった。
 CELで、改めて学ぶ喜びを知った。
 CELには、切磋琢磨しあう良き学友との出会いがあった。
 CELを通じて、多くの「気付き」を得た。

 以前、養老孟司氏が「知る」という行為について、「それは、自分が変わってしまうことである。知ることによって世界が変わり、二度とその前の自分には戻れない」というようなことを言っていた。同時に、「今日、残念なことに、知識を得ることは、単に情報を収集する行為に堕している」とも。

 顧みれば、これまでの人生で幾度となく「試験」を受け、「受験勉強」を繰り返してきたが、その度に自分のしたことは「知識の収集」に留まっていたように思う。それで知的好奇心が満たされたことも、人間的成長を実感したこともなかった。学問の影響が、アタマで止まるのか、それとも自分全体に及ぶのかを左右するものは何だろう。CELでの経験を振り返って考えるに、それは、いわゆる「気付き」ではないか。

 それまでの自分の常識を揺り動かすような、はっとする「気付き」である。それによって、世界が変わる。ものの見方が変わる。これまでの自分を反省する。自分が改まる訳である。

 そう、CELでは多くの「気付き」があった。

<まず日本語が大切である。みなさんの日本語は大丈夫ですか?>

 CELでは、日本語を大切にし、適切な日本語を使うことの重要性を、明確に説かれた。

 英文和訳も最低限、日本語として鑑賞に耐えうるものでなければならない。こう意識してみると、自分の日本語力は存外に低い。江口先生の英文和訳を見ると、内容の正しさに加え、日本語が自然なことに舌を巻く。

 さらに、江口先生は日本語を話すのも巧みだ。かねがねNHKラジオ語学番組の先生方が見事な日本語を話すのに感服していたが、CELの先生方、スタッフの方々の日本語もなかなかである。言葉に対する意識の高さが感じられる。しかも誠実な印象を受ける。CELの人々と言葉を交わすと自然にこちらも感化されるようだ。これ、言葉に携わる立場として、大切なことではあるまいか。

<英語は英語だから特別なわけではない。生きた英語って、こういうこと。>

 「英語はいまや国際語です。例えば学校教育では米語が主流ですが、今、日本人が米国人の英語を真似して、米国人のように話せることにどんな意味があるでしょうか。もはや自慢にもなりません。それよりも、日本人は日本人らしい英語を使うことを心がければいい。そういう時代です」

 江口先生の言葉である。まさに目から鱗が落ちた。

 「英語は道具だ」と言ってはいたが、どこか「英語」という対象そのものにこだわって、その後ろに生きた使い手がいることを失念していた。自分が使いこなすものというよりも、誰かがどこかで使っている、「出来上がった」もののように英語を見ていた。日本語と同様、人が発する、当然使い手によって巧拙も癖もある。そんな当然のことを、今まで考えていなかったのである。

 それまで、英語をなんとか解読しようと努力していたのが、CELで勉強を開始してからは、英語を通じて使い手の意図を読み取ろうとするようになった。書き手がこの言葉を選んだ狙いは?などと推測する楽しみを知った。通訳ガイド一次本試験で、問題の英文を読んで、あっ、これは面白い、などと喜ぶ余裕ができたのも、このような下地ができたからだろう。

 そして、英語を発する時にも、ただネイティブの真似をするのではなく、「自分らしさ」を意識するようになった。

<意識すべきは、相手の身になっての思いやりである。>

 受験勉強などをしていると、どうも被害妄想の気が出てくる。まるで意地悪されているようで、試験官が憎い仇のように思えてくる。しかしちょっと待て、とCELの先生方は説く。

 例えば一次試験の答案を書くとき、それを採点する相手の立場になってみよ。同じ書くなら、相手が読みやすい日本語と文字を心がけよ。

 そう説かれて臨んだ本試験。どんなに頭を絞っても、これもわからないあれも思い出せない。しかしながら、前年までの、ひたすら追いつめられていただけの自分とはやや違った、一種達観の気分があった。

 確かに、ことここに及んでは、出来ることはそれしかあるまい。せめて採点者をホッとさせよう。解答欄を見て、殴り書きに近い箇所を、一つ一つ丁寧に書き直した。そこで平常心が戻ってきたのか、さっきまで漠としていた英文の意味が突如明瞭に見えてきて、だめ押しでもう一つ解答できた。

 合否は微妙なところであったが、そんなこんなで今までにない手応えがあった。心象のよい答案が効いたのか幸いに合格して、「これで江口先生に顔向けが出来る」とホッとした。

<二次試験の極意。やはり基本は相手を大切にする思いやり。試験官をお客さまと思いプロの自覚でサービスすべし。これはみなさんの初仕事です。>

 今まで何度か通訳ガイド試験を受けたが、全て一次で落ちていたので、一次さえ受かれば何とかなるような気になっていた。それは大きな間違いだった。二次試験準備クラスには、すでに何度も一次合格を果たした猛者がいた。

 CELの二次対策クラスでは、本試験と同じ一対一での対話形式を取った。これが実に有効だった。質問に対する「正しい答え」を先生が用意し、こうきたらこう、と覚えることとは全く違う。自分がその場で対応しなければ先に進まない状況を作られて、まず嫌でも何かを話す度胸が付いた。同時に、教師に対する生徒という心理も次第に変じて、客に対するガイドのごとき意識が芽生えるに至ったのである。

 その結果、言いたいことをとにかく英訳して言えばよしとしていたのが、それでは不十分、と欲が出てきた。もっとわかりやすく面白く、俗な表現をすればより相手にウケルように話したいと思うようになった。クラスの前に、日本に関する資料を真剣に調べた。TIC(Tourist Information Center)にも行った。米国出版の日本旅行ガイドブックなども読んだ。初めて知ることがたくさんあった。

 かくして楽しく学んだが、つまるところクラスの先生は協同作業のパートナーである。本番では違う。試験官に気に入られなければならない。納得させなければならない。汲々として試験間近、緊張が窮まり胃腸も壊れた。デュマス先生の助言は「身体を動かせ」。努力はしたが、かつてないほどの緊張で、いくら動いてもおっつかぬ。

 最後に最高経営責任者の曽根さんからアドバイスがあった。試験に臨んでの心構えを説かれるうちに、やはり相手への思いやりが、何より肝要であると気付いた。試験官があたかも敵のような気にもなっていたが、ふと、自分のように至らない受験者に付き合わされる身になってみた。さぞかし大変だと思われた。

 よし、と吹っ切れた。どうせ受かるまいが、せめて5分間、試験官が楽しめるように努力しよう。5分間、自分は試験官のガイドになる。終わった後、試験官が、ああ面白かった、と思えるようなら、それで自分の勝ちである、と。

 結局、それがよかったのだ。奇跡的に合格できたが、とても自分の英語力や話した内容が優れていたためとは思えない。強いて理由を考えれば、前述したような決意によって、少なからず試験官に楽しんでもらえたからであろう、それしかないと思っている。

<日本人は捨てたものじゃない。そして、より良き日本人は自覚と努力とによって生まれる。>

 今回通訳ガイド試験を初めて三次まで通して受けてみて、かつてなく自分が日本人であることを意識した。もちろん今までも外国へ行けば、旅人は草の根の外交官である、などと殊勝な言葉を吐きながら、日本の代表として恥じないようにと、常に努力はしてきたつもり。しかし肝心の、日本人とはいかにあるべきかという点については、深く考えずにいたのである。むしろ、日本人の欠点ばかりが目について、それとは違うヤツも日本にはいるぞ、とアピールすべく振る舞っていた。

 CELの先生方や学友達と接して、要するに自分は日本人のことをよく知らなかっただけだ、という単純な事実に気付いた。北海道で育ったためか、道外のことはおよそ他人事の気分が強く、外国人から日本人の欠点を指摘されても、一緒になって盛り上がる始末。日本についてのわからぬ質問には、「自分は違う」で済ませていた。今やそれでは済まぬと知っている。知って語ることは日本人としての義務である。そして、徐々に、日本人も捨てたものじゃないと考えるようになった。

 しかし、「捨てたものじゃない」日本人であるためには、それなりの自覚が必要だ。ルソーではないが、日本人として単に存在する以上に生きるためには、日本人であることに目覚めた上で、相応の経験や学習が必要なのだ。

 さらに、相互に成長を促し高めあう仲間がいれば言うことなしだ。CELの仲間とは、授業以外でも随分と言葉を交わした。そして、地球の将来を考えると、効率主義や経済至上主義よりも、日本人の自然観や、身の程を知り調和を重んじる価値観こそ大切なのではないか、我々は日本人の持つすばらしいものを、世界に伝える役目がある、そんなことも語り合った。

<日本は面白い。今まであまりにも知らな過ぎた。>

 実は、今まで日本の地理と歴史をきちんと勉強したことがなかった。それでも歴史に関しては平均以上に詳しいつもりであったし、二次までクリアできれば、三次は比較的楽である、と聞いていた。嘘である。大変である。日本のことなんか何も知っていなかった、と嫌という程思い知った。恥ずかしながら人生で初めて都道府県の位置を覚えた。河川、山岳、国立・国定公園など、初めて本気で地図を辿って確かめた。

 最初は苦痛でしかなかった。しかし、である。江口先生によって要領よくまとめられた教材がよかったのか、地理と歴史を同時に学ぶという初めての経験で、今まで得たバラバラの知識や切れ切れの経験が、ちょうど点が線となり面として広がるように、相互に関連性を持って見えてきたのである。これは面白かった。どうして義務教育でこのような地理と歴史の授業を行わないのか、まったく不思議なことである。

 江口先生に導かれて、授業の度に、時空を超越して日本各地を旅する楽しさ。昔、国鉄の宣伝に「ディスカバー・ジャパン」というのがあったけれど、まさに日本発見の旅だ。日本はこんなに面白い国だったのか。こんなに起伏と変化に富み、これほど美しい国だったのか。今まで何を見ていたのだろう。本当に、何も知らな過ぎた。

<これで私も日本人!やはり得難きは良き友である。>

 さて、三次試験を終えた後、予想よりも難しかった一般常識には閉口したが、地理と特に日本史では流石に結果がでたように思い、満足感を覚えていた。今や自分は、かなりの日本通である。そんな気分になっていた。

 「戦友」達とささやかな慰労会を設け、来し方を振り返り労をねぎらった。ふと一人が言った。「考えてみたらこの程度の知識って、日本人だったら、通訳ガイド試験を受けなくても持っていなきゃいけないよね」

 はっとした。そうか、これでようやく、普通の日本人に期待される「ごく当然」の段階に来たのか。言われて初めて気が付いた。こんなセリフをさらりと言ってくれる、そういう友が有り難い。

 さて、かくして通訳ガイド試験を一次から三次まで経験した。その後大分県を旅してみて、三次試験対策の勉強の効果を実感。知識があると同じように旅に出ても充実感が随分と違う。本当に世界が広がったようだ。

 とはいえ、所詮三次試験の勉強は付け焼刃のようなもので、早くも復習の必要性を感じている。これからは、特に何を勉強すべきか。曽根さんに電話で聞いてみた。

 「そうですね」と曽根さん曰く、
 「これからは、地球の一員の日本人として、さらに自分を磨いてください。」


※その後、通訳ガイドとしてご活躍されているご様子をご報告いただきました。こちらをご覧下さい>>