2019年度
通訳ガイド(全国通訳案内士)2次試験レポート
受講生29
(1)試験会場到着から試験室入室までの手順
試験会場:昭和女子大学
受付時間:9:00
試験時間:10:00
受付時間丁度に到着したため、そのままエレベーターで6階に上がるよう指示される。トイレに行きたかったが、受付を先に済ますよう言われ一旦教室に入り、係の人の付き添いでトイレへ。待たせて申し訳ないと思ったが、開き直り化粧と髪を整える。そのあとからは、集団で並んで揃っての行き帰りだったので、ゆっくり化粧を直したい人は受付前に済ますことをお勧め。
受験者の男女比は3対1くらい。スーツの人は半分ほどのように感じる。そのままツアーに出かけられそうなスニーカーとリュックのカジュアルな人も。
ネームカードの順に小部屋へ移動。更に、面接の部屋の前の椅子で待機。向かいに監視係が着く。ただ、目が合うとにっこりしてくれて緊張がほぐれる。タイミングよく中から日本人試験官がドアを開けてくれたので笑顔のまま入室。
(2) 試験官の性別、推定年齢、(外国人面接官はアクセントから判断して)国籍
外国人:40代後半の男性。米語。
日本人:40代の女性。ニコニコしている。
(3) 自己紹介等のイントロのやり取り
名前、誕生日、生年月日のみ。
(4) プレゼンテーションの3つのトピック
1.明治維新 2.おでん 3.ゴミの分別
(5) ご自身の選択したトピック
明治維新
(6) ご自身のプレゼンテーションの再現
明治維新は一種の革命だ。それまでは江戸幕府という侍による徳川幕府、ヘッドは将軍、が日本を統治していた。江戸は今の東京。その政治ポリシーは鎖国だった。明治維新により政権中央は天皇になって、幕府、侍は滅びた。日本は外国にそのドアを開け急速に西洋化した。その前後では全く変わった。例えば着物から洋装になった。
観光に絡めようと上野公園を持ち出したが時間切れ。
(7) Q&Aのやり取りの再現
N:他に変わったことは?
A:身分制度。士農工商という身分制度があったが平等になった。
N:商の下にもあるのでは?
A:??
N:商の下のクラス
A:それは悲しい話だ。
N:簡単でいいから
A:人間と思われていなかった。
N:オッケー
(8) 英訳の日本文
相撲は神事として五穀豊穣を祈るものだった。鎌倉時代に戦いとして発展した。江戸時代には娯楽として発展した。その後プロのスポーツとなり国際化も進み今では外国人力士もいて活躍している。
(9) ご自身の英訳の再現
ほぼ再現できたと思います。特にキーワードを言うと日本人試験官がうんうんとうなずいてくれて嬉しかった。
(10) situationの内容
相撲のチケットを申し込んだが見当たらない。探したけど。ゲストはとても楽しみにしている。どうするか。(日本語で読み上げ)
(11) 試験官とのrole play応答内容の再現
A:(先ず、共感する。)それを聞いてとても残念。とても楽しみにしていたのですね、チケットをどこかに忘れたのですか。
N:お金は払い込んだのだが旅行会社からまだ受け取ってないのかもしれない。
A:私はあなたのためにここにいます。自分ができるすべてのことをやります。心配しないで。先ずエージェントに確認してみます。それから両国国技館にも電話して相談してみます。
N:多分受けとってないと思う。(ここからチケットの専門用語が出てきた)
A:(この辺からしどろもどろになってしまった。)エージェントからメールを送ってもらって番号がわかるからと国技館に聞いてみる。(会話がかみ合ってないかもしれない)
N:安心した。(笑顔)
A:私も安心した。(笑顔)
(13) 終了後、退出してから解散までの手順
英語と日本語でお礼を述べて退出。
同次官の全員が終わるのを隅のほうの廊下の椅子で待ち、全員が揃ったところで別教室に移動。更に係の人が一人ついてエレベーターまで付いて一階へ。そして解散。
(14) 全体を通しての感想、その他メッセージなんでも!
プレゼンの質疑応答でまさか士農工商、その下の身分について問われるとは思わず、一瞬固まってしまいました。シチュエーションでは、最初は大丈夫だから安心してといっていたのにだんだんしどろもどろになり多分…と言ってしまう。
一次試験がまさかの合格で、準備不足が顕著に出てしまいました。CELの二次対策セミナーを受講したことで、ガイドとして徹底的にゲスト側に立って考えることを教えていただきました。また、最後に受けたセミナー時の本番当日用スーツには、もう少し明るいインパクトの何かをプラスするようアドバイスをいただき、差し色を足したところ、ハキハキとした自信のような雰囲気が出て効果的だったと思います。内心はビビリまくりでしたが。演技力がない分、見た目でエネルギーを感じさせることは重要ですね。
ご指導のお蔭で、笑顔で、ゆっくり、はっきり、大きな声で話すことだけはできたと思います。曽根先生はじめ、ご指導いただいた先生方、いつも励ましてくださった受付の田中様、皆様に感謝です。