試験も近づくとカレンダーをちらちら見ることが多くなりますね。あー、もう6月ですよ。ガイド試験まであと、一ヶ月…。ここに閏月が入っていてくれて6月がもう一月あればなあ…。とも思いたくなります。え、閏月って何ですかって?昔、日本にはあったのですよ、閏月が。 現在、わたしたちが使っている暦はグレゴリオ暦といって、地球の運動と太陽と月の動きに基づいています。1日は地球が1回自転する平均時間で、1年は地球が春分点を発し、太陽のまわりを1周してふたたび春分点にもどるまでの周期で、365日5時間48分強程度です。キリスト教でもっとも重要な復活祭は春分を基準にして決められますが、グレゴリオ暦以前に使用されていたユリウス暦は、長く使用しているうちに、この春分の日に10日以上のずれが生じてしました。グレゴリオ暦は、暦上の一年と365日の差をうまく調整して、次の差法則に基づき、この問題を解決したのです。 1.西暦が4で割り切れる年はうるう年 2.かつ、西暦が100で割り切れる年はうるう年では無い 3.かつ、西暦が400で割り切れる年はうるう年 この暦は16世紀からカトリック教国で使用が広まり、日本では、1873年から採用されています。 では、日本でこの暦が採用される前は、どのような暦が使われていたのでしょうか。これがいわゆる、旧暦と呼ばれる太陰太陽暦だったのです。江戸時代に幾度か改暦されていますが、基本理念としては、1年の長さは太陽の動きで、1月の長さは月の動きで、そして、1日の長さは地球の自転で決めるものです。それぞれの動きには相関性がありませんから、これはかなり複雑になります。例えば、1月の長さは、月が地球を一周する長さですから、自転の回数と合わなくなります。新月⇒満月⇒新月の周期は29.53日で、その調整のために、30日の「大の月」と29日の「小の月」が設けてあります。ですが、月が地球を12周する長さは354.36日で、結局、太陽の周りを地球が1周するのと10日以上のずれが生じます。そこで、閏月を設けて、13ヶ月の年と12ヶ月の年があったのです。暦は、大の月・小の月の組み合わせと順序、さらに月の数が異なるため、毎年異なるものを作成する必要があります。これだけではありません。1日の時間ですが、現在のように、機械的に24時間を均等分するのではなく、日の出から日の入りを6等分して一時としていました。すると恐ろしいことが起きます。つまり、季節によって、一時の長さが異なるのです。(ただし便宜的に、長さ調整は毎日ではなく、定期的に行っていました。)江戸時代に輸入された外国製の時計がありますが、実用性はなかったということになりますね。なにせ、昼夜で一時の長さが異なる上に(夏は昼の一時が長く、夜の一時が短い。冬はその逆。)、季節によって、昼夜の一時のバランスを調整する必要があるのですから。 現代人であれば、このような不合理的な暦は絶対に用いないでしょうが、江戸以前の人たちはむしろグレゴリオ暦を不合理だと思っていたようです。その証拠に、当時の人たちは、江戸時代に輸入された時計に改良を加え、ついには、季節ごとに、昼夜の針の進行速度が異なる複雑怪奇な和時計を発明したぐらいですから。グレゴリオ暦や西洋時計の合理性や利点をどうして取り入れなかったのでしょうか。 実は、当時の人たちにとって、太陰太陽暦が最も合理的だったということですね。1年の行事は季節を決める太陽の動きに従い、1月は月を見れば一目で何日かが判断できる月の動きに従うわけです。つまり、新月であれば必ず1日、満月であれば、必ず15日というように。月の明りは現代と違い、重要な夜間照明の役割を果たしていましたから、日本の伝統行事のほとんどが15日に行われるのも理解できます。さらに、時刻は太陽の位置で決めることができ、時計がなくても、自然に時間が判断できます。また、農業における日々の労働時間は日の出から日の入りまでですから、農期である春から秋は一時が長く、閑農期である秋から春は一時が短いというのは自然かつ大変合理的であったと思えます。 まさに、太陰太陽暦は自然に逆らわず、自然に調和して生きる人間の知恵の産物と言うことができます。現代人の生活はどうでしょう。身体の自然な要求に反して、毎日目覚ましとともに起床し、月の動きとは無関係に夜半を過ぎてまで活動するし、1年の季節とは無関係に空調の整った職場で、1年中毎日同じ時間に同じ作業をしているのです。グレゴリオ暦は、自然に人間活動をシンクロナイズさせる太陰太陽暦と違って、自然を人間の活動や都合に合わせることに目的がありました。その結果、暦が一人歩きをして、(まるで、人間が発明したロボットが人間を支配するようになるというSFストーリーのように)人間の生活を縛ることになったような気がします。 日本におけるサマータイムの導入も検討されていますが、これこそまさに、人間のご都合で、自然の営みをさらに一歩、強引に人間の都合に合わせさせるという西洋的合理性(東洋的には非合理性?)の象徴のようにも思えます。今一度、日本人だけでなく世界中の人々が自然の営みに合わせて生きるという昔の人たちの知恵と価値観を再評価すべき時ではないでしょうか。この根本的姿勢が変わらない限り、環境保全を叫んでも、人間の都合にあわせた環境保護にしかならないような気がします。じゃあ、ガイド試験の期日も、自然の営みに合わせて、読書の秋に変えてもらえないかなあ。梅雨明け直後はつらいですよねえ…。(苦笑) 【番外編】 Q:明治政府はどうして1873年にグレゴリオ暦を導入したのでしょうか? A:文明開化の名のもとに、近代社会の暦を取り入れたのです…と、言いたいところですが、実は台所事情がありまして…。1873年は旧暦で言うと閏月が入る年で、1年13ヶ月だったのです。政府関係者に対する給与を13ヶ月分払うのは当時の政府の財政からはかなり厳しかったのです。そこで、政府が考えたのが太陽暦の施行でした。1873(明治6)年の給料支払いは12ヶ月分で済んだうえに、旧暦と新暦のずれが1月ほどあり、1872(明治5)年の12月は2日しかないまま翌年の1月1日になりました。これを理由に12月分の月給は支給せず、結果的に明治政府は2ヶ月分の給料を払わずに済ませるという究極の手段を用いたわけです。このような方法で導入された新暦は地方で受け入れられるはずもなく、本来7月15日であったお盆は、東京や一部の地域を除いて旧暦に基づいて行われています。新暦と1月ほどのずれがありますので8月15日あたりになるのですが、便宜上、旧暦というより新暦の8月15日に収束していった地域がほとんどです。 |