通訳ガイド(通訳案内士)2次試験レポート

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受講生20

場所:明海大学(2013/12/08, 03:30~06:00pm)

1. 試験までの流れ

  1. 15:30前に到着した受験者に1階のラウンジのような場所が準備されていました。
  2. 15:30から2階で受付開始、事前に受験票と身分証明書を準備するようアナウンスがありました。
  3. 受付で並ぶラインは4-5本あったと思います。
  4. 受験票と身分証明書を提示すると、面接番号プレート=面接グループ+個人番号が付いている=(ひも付きの首に掛ける)のプレートが渡されました。公平性を確保するため受付担当が面接番号をAt randomに選ぶようです。
  5.  大教室に移動し案内され、面接番号に合っている指定席に着くよう指示されました。
  6. 受験者全員が大教室に集まった時点で(=16:00から)試験の説明がありました。
  7. 飲み物、参考書の閲覧は可、携帯を含む通信機器の使用、食べ物、飴、ガムは不可。
  8.  説明完了後、最初のGroupが面接に入ったのは16:20頃と思います。
  9. 一つのグループ(おそらく一グループ7-8名と思います)が面接の部屋に移動すると、その次のグループが呼ばれる間の時間を利用してトイレに行きたい人がいるかどうか聞くアナウンスが毎回ありました。トイレに行く人は携帯電話等を置いて行くことを要求されました。。
  10. ペアの面接官といくつの面接教室が準備されていたか不明ですが、私の推測は下記の通りです。
  11. 前提条件
    a. 総人数 210名(私の勘です)
    b. 一面接官チームに与えらた総分数: 100分(16:20~18:00)
    c. 一人の面接時間 10分<8分+2分(評価+雑)>
    d. 一面接官チームが100分で面接できる受験者の数10名
    e. 210 ÷ 10 =21(面接官チームの数) 準備された面接教室 21
  12. が面接教室に移動したのは17:20頃かと思います。
  13. 案内人から面接を受ける教室の指定を受け、教室の前に準備された椅子に座り、前の受験者の面接が終わるのを待つよう指示されました。
  14. 前の受験者が部屋を出て 3分程度経った後、日本人の面接官から日本語で教室に入って下さいと言う指示がありました。
  15. 私は幾つかバッグを持っていました。外国人面接官からバックをバック置き場に置いて下さいと言う指示がありました。
  16.       この時点で外国人面接官及び日本人面接官にGood Afternoonと挨拶することになりました。
  17. 二名の面接官はこちらを向いて机を前にして椅子に座っていましたが、面接者に机は無く椅子だけでした。 メモを取ってよいことになっていたので、被面接者側にも机があると考えていましたが違いました。
  18. 椅子の上にA4用紙ががはさまれている紙バサミとボールペンが置いてありました。

2. 実際の試験

  1. 面接官:外国人面接官、男性40才中頃か?、英国人ではありません。国籍分かりませんが癖がない分かり易い英語でした。日本人面接官:女性40歳前半か。二人ともFriendlyでした。
  2. 最初に外国人面接官から名前だけ聞かれました。
  3. その後即、通訳の試験に入りました、日本人面接官が通訳課題文読みました。CELのMock-upの面接より、読み上げスピードが速いため、また普段紙バサミを左手に持って右手で速く書くということに慣れていないのでまともにメモを取ることが出来ませんでした。来年の貴校のMock-up面接に、被面接者が紙バサミにA4の紙を置いた形でメモを取る練習を導入されることを提案します。 紙挟み上でメモを取るのに難航している間に問題文の読み上げが終わってしまったので、正確に課題文を覚えていませんが、大体以下のような内容であったと思います===別の方からの情報と突合せていただきたいと思います。

    前半:江戸時代日本では浮世絵が盛んになり、大衆の間で浮世絵の人気は高かった。
    中段XXXXXXXXXX 覚えていません (広重 or 北斎と言う言葉がどこかにあったかも知れませが、メモが取りにくくそちらに気を取られていまいし聞き逃しました 
    後半:浮世絵は一度に何枚も刷れるので多くの浮世絵が刷られた、その浮世絵が、欧州(欧州と言ったフランスと言ったか覚えていません)にも届きゴッホなどの(欧州の)画家に影響を与えた。

    私の訳は聞き逃した中段を除いたので非常に大まかで拙いものになってしまいました。どの程度点がとれたか分かなく不安です。
    In the Edo Period, Ukiyoe became very popular with people. Ukiyoe is wood-block printing. Ukiyoe was exported to Europe and gave a very impact/influence on Gogh and other impressionists. The reason that Ukiyoe became so popular was an artist could print many pictures at one time by wood block printing and this is also t
    he reason that some Ukiyoe were exported to Europe. 程度しか伝えることが出来ませんでした。

    自分の反省:
    ・exported を使用しましたが、日本は鎖国でしたのでexportedと言ったのは間違いであったと思います。また、gave an impact/influence onでなくコロケーションはhad an impact/influence onにすべきあったかと思います。

    ・ああしておけばよかったこうしておけばよかったと言う思いは全ての受験者共通のことと思いますが、後から考えれば、外国人が分かるように原文になかった言葉も多少付け加え、In the Edo Period, Ukiyoe, which is the style of Japanese wood block printing developed in the Edo period became very popular among the general public and Ukiyoe which depicted beautiful women ,Kabuki actors and others were very widely accepted. Ukiyoe reached Europe somehow and European painters evaluated the uniqueness of Japanese Ukiyoe. Ukiyoe had a big influence on European (or French) impressionists like van Gogh. The technique of wood block printing was innovative and it enabled Ukiyoe artists to mass produce at one time.とせめて程度言えればよかったと思いますが、実力不足でそこまで出来ませんでした。

  4. プレゼンテーション 与え課題3つ( 江戸、新幹線、東北の見所)
    江戸を選ぶか新幹線を選ぶか迷いましたが、江戸を選びました。後から考えると、江戸歴史の一部を観光に関連付けることは結構難しいので、戦略的誤りを犯したと思います。曽根先生から新幹線開業以来人身事故が無いと言う材料も戴いていましたので、新幹線を選んだ方が観光に結びつけ易かったと思います。

    江戸を選びましたが、江戸というタイトルを見ても江戸が百万人の大きな町であったということ以外は話しの引き出しが無く何を話すべきが悩みました。悩んでいる余裕がありませんので、江戸時代の歴史を断片的に話しました。タイトルが江戸ですから全くoff the trackで無いかもしれませんがやはりoff the trackの感を真逃れないと思います。おそらく出題者の意図は、江戸と言うタイトルから、観光客が興味を持つと思われる江戸の町、江戸時代の庶民の生活、江戸時代の文化を受験者に話させたかったのでないかと思います。面接後、自分が話した江戸の歴史の一部の内容を考え直すと、本当に断片的であり面接官がどのように受け止めたか理解できたか心配しています。試験管が心大きく優しい人で江戸の歴史も江戸の一部と寛容に考えてくれたことを切に希望しています。

    本人:Let me take up the subject Edo. First I will tell you about the battle of Sekigahara. Tokugawa Ieyasu fought against Ishida Mitsunarii in 1600 and he won the battle. Then, Tokugawa Ieyasu established the feudal systems to keep the shognatge government for long. Actually the Tokugawa Government lasted for 260 years.  He established the hierarchy, or the class system that put Samurai on top, farmers on the send class, artisans or craftsmen on the third class and merchants on the lowest class, He banned Christianity because Christianity that maintains all people are equal totally went against his policy. He also established the mandatory residence in Edo system. Let me explain this. After the battle of Sekigahara the Tokugawa government had still some lords who might be against it. In order to avoid rebellion from these lords, the Tokugawa government requested each lord to spend every other year in Edo. This means lords were requested to spend this year in Edo and they were allowed to go back to their domains next year to take care of his domain. .The thing is the Tokugawa Government was clever. It requested each lord to keep his wife and children in Edo. In other words the Tokugawa government kept them as hostages. Thus the Tokugawa government lasted for 260 years.
     ----本人まだ時間があるはずで、なんとか続けて話し観光に結びつけようと思っていましたが、外国人面接官からここで質問が来ました。

    Native interviewer: What happened at the end of the Edo period?
    本人:Young aggressive Samurai were against the Tokugawa Government because if they keep the isolation policy Japan would be far behind the western countries and Japan was unable to keep up with them. Finally the last Shogun Yoshinobu returned the power to the emperor.
    Native interviewer: What happed to the last Shogun. Was he killed or executed? And what happed to the Tokugawa family?
    本人:There was big discussion between the Tokugawa government and the new government, and the new government decided to keep Yoshinobu alive and keep the Tokugawa family.



    日本人面接官からの質問は何もありませんでした

    プレゼンの本人反省点
    ・Tokugawa Ieyasu fought against Ishida Mitsunarii in 1600 and he won the battle. 唐突過ぎ江戸時代の歴史を知らない外国人には全く分からない話と思います。せめてThere was a very big battle named the battle of Sekigahara in 1600, This was the decisive battle that would decide the Japanese history and this is the very big battle between the east army led by the very strong lord and the west army led by the very strong lord. Ishida Mitsunari.程度話さないと舌足らずで、もし外国人面接官が日本の歴史を知っていなければ、made no senseであったと思います。
    ・参勤交代を設けたのは正確には家光ですので、家康が設けたと言ったのは不正確でした。日本人面接官は気づいたかも知れません。また、参勤交代は、大名行列を伴う物で、藩にお金を遣わし経済的に反旗を翻すことを不可能にすることを伝えるのを全面的に忘れました。
    ・It requested each lord to keep his wife and children in Edo. 間違いました– to leave his wife and children behind in Tokyoと言うべきでした。
    ・There was a big discussion between the Tokugawa Government and the new government and the new government decided keep Yoshinobu alive and keep the Tokugawa family.と話しました.本人は西郷隆盛と勝海舟の会談を浮かべて話したのですが、===ここで西郷と勝の会談を話すと説明が長くなり難しくなり墓穴を掘ると考えて===上記の舌足らずの言い方になってしまいました。外国人面接官が、日本史の西郷隆盛と勝海舟の会談を知らなければ、私が話したことは漠然としていて何だか分からなかったと思います。
    ・実際に話した際、単数、複数、時制等はもっと乱れていたと思います。
    ・外国人の面接官は I enjoyed your storyと言ってくれましが、本当に面白と思ったかおせじかどうか分かりません。話した本人が、舌足らずで分り難かったと思っていますので、私の話を外国人面接官が本当にどの程度分かったQuestionです。私の話をこの外国人面接官が理解してくれていたら、彼は相当日本に精通していらっしゃる方でラッキーと思います。
    ・面接が終わって自分のバッグを持ち上げた時、外国人面接官が I live in Saitama . Where do you live in Saitama?と聞きました。===面接中私の住んでいる場所について一言も話しませんでしたので、なせ 私が埼玉県に住んでいると分かったのかと思います。おそらく面接官は持っている面接者一覧を見て私の住まいが埼玉と分かったと推測しています。I live in Konosuと言うと It is a small town, isn't it? と言うので、Yes, it is. And it is famous for Hina Dollsと伝えました。これもIt is  famous for Hina Doll productionと言うべきであったと思います。

3. 自己評価

  1. 通訳 訳が中抜で大まか過ぎた。また訳した部分にも色々細かい抜けがあったはず。 60%ぎりぎり。
  2. プレゼンテーション:面接官が江戸と言うタイトルをどこまで広げて良いとするかに懸かっていると思います。面接官の寛容度に懸かっています。江戸の断片的な歴史の話を聞くことが面接官側の意図でなかったとしたら、Off the trackと言うことで評価は低いと思います、仮に江戸の断片的な歴史もOKと考えくれれば、私の話は外国人観光客と何の関係付けされていませんが、おまけで 60%に到達するかどうかと言うところと思います。
  3. いずれにしても:ボーダーライン上にいてでパスするかどうか50% 50%と思います。

4. その他コメント

  1. 基本的に通訳ガイド試験, 独習で勉強し、CELでIntensive Mock upで面接の練習をさせて戴きました。今回本番での出来はあまり良くありませんでしたが、やはりMock-upで場数を踏ませて戴いた経験は大変役に立ったと思います。

  2. 私が割りと得意な分野は、日本文化論(縦社会、甘え、本音と建前、日米(欧州)とのビジネスのやり方の違い、儒教の日本文化への影響、等)と時事問題関係です。CELのIntensive Mock-upクラスではこうしたタイトルがMock-upクラスのプレゼンに結構多く含まれていましたが、今回の本番で生憎そうした課題が無かったが残念でした。

  3. 面接前は60%程度簡単に稼げると思っていましたが、甘かったです。正直に言って今回の合格の可能性は50%程度の確率で決して高くないと読んでいます。結果はさて置き、通訳ガイド英語と言うある意味でNicheな英語分野が有ることを知り勉強になりました。また忘れていた日本地理、日本歴史の知識をrefreshしたことも常識のrefreshと言うことで意味があったと思います。

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