通訳ガイド(通訳案内士)2次試験レポート

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受講生69

(1) 試験会場到着から試験室入室までの手順

試験時間: 14:00~(受付13:00~)
・受付時間までは講義棟1階のロビー(自販機やテーブル、カウンターなどがあった)が開放されていた。
・受付時間近くになり、誘導係の方が3階受付への誘導を開始。ロビーから、エレベーターホールまで受験者が列になりエレベーターで3階に向かった
・エレベーターを降りると、2列に並び進むよう指示があり、受付となっている教室へ向かった。受付時に番号が記載されているネームを受け取り、教室奥の出入り口から出ると、1列に並ぶよう指示があり、誘導係に従い待機場所の大講義室に向かった。
・ネームに記載されている番号によって席が振り分けられていた。
・前方のホワイトボードには注意事項とグループごとの誘導の順番が記載されていた。
・トイレに行く際は係員の誘導のもと、一列になりトイレに向かい、全員が揃ってから再び待機場所に戻った。(誘導係の女性の方が感じのよい笑顔で応対してくださり、和みました)


(2) 試験官の性別、推定年齢、(外国人面接官はアクセントから判断して)国籍

N:男性
J :女性(20代後半~30代前半)
面接者側には椅子が3つ用意してあり、荷物用、面接者用、通訳時に使用する紙と鉛筆が置かれた椅子が用意されていました。

(3) 自己紹介等のウオーミングアップのやり取り

“May I have your name, please?”と名前を尋ねられ、通訳に移りました。

(4) 通訳の日本文

新幹線は、オリンピック開催の年1964年に開通しました。世界で一番早い新幹線は、世界中の注目を集めました。今は、8路線になり、主要な都市につながっています。これから、全国の都市につながるように計画されています。

(5) 英語訳の再現

⇒メモしていたものの、世界で一番早いという情報を口頭で発表した際に落としてしまいました。過去形のところを現在形で言ってしまい、言い直しもありました。

(6) プレゼンテーションの3つのトピック

・日本の伝統芸能について
・居酒屋について
・2011年3月11日の東日本大震災で大きな被害を受けた地域と現在の様子について

(7) 選択したトピック

・2011年3月11日の東日本大震災で大きな被害を受けた地域と現在の様子について

(8) プレゼンテーションの再現

・私は福島県の会津若松市に住んでおり、会津若松市は新潟側に位置しています。ご存知かと思いますが、原子力発電所の災害によって、原発近くの大熊町の住民は故郷を離れました。大熊町の人々は会津若松市に移り、新たな生活を始めています。仮設住宅に住んでいる人々もいます。
私は観光案内所に勤務しており、震災から数か月後、外国人観光客も再び会津を訪れました。原発について尋ねる旅行者が稀だったので驚きました。彼らは純粋に滞在を楽しんでおり私は感動しました。これは、旅行者が会津若松は安全だと、日本は安全だと知る良い機会でした。

(1分を経過した際、口頭で“1分が経過しました”とアナウンスがありました。)



(9) Q&Aのやり取りの再現

Q:あなたが住む地域の見どころはどこですか?
A:鶴ヶ城と白虎隊19士の墓です。どちらも幕末に関連する場所です。

 Q:あなたは今でも観光案内所に勤めているのですか?
(プレゼン時に過去形で話してしまったため?)
A:はい、勤めています。

 Q:原発からあなたが住んでいる場所はどのくらい離れているのですか?
A:原発からは80キロメートル離れています

 Q:あなたの住んでいる所には外国人観光客は沢山訪れるのですか?
A:震災前に比べ50%です。タイからの観光客は増えており、良い兆候だと思います。

(10) 日本語での質疑応答の有無
⇒ 特にありませんでした。
(11) 試験終了後のやり取り(もしあれば)
⇒ 特にありませんでした。

(12) 終了後、退出してから解散までの手順

・誘導係の指示に促され、一時待機場所へ(廊下のホール、に椅子が並んでいた)
・試験前とは異なった大講義室で全員が終了するまで待機。

(13) 全体を通しての感想など

面接官の方々はどちらも感じがよく、笑顔で応対するよう心掛けました。緊張で舞い上がってしまい、時制や単数・複数の一致等、文法の正確さに欠けていました。振り返ってみると、フォローアップクエスチョンで挽回のチャンスもありましたが、せっかくのチャンスを活かしきれなかった印象です。しかし、今回の反省を今後に活かし、挑戦を続けたいと思います。

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