通訳ガイド(通訳案内士)2次試験レポート

<<一覧に戻る 通訳ガイド(通訳案内士)2次試験レポート

受講生48

(1)試験会場到着から試験室入室までの手順

14:30−14:55 受付時間 受付後、大部屋に案内され待機。
15:00 試験に関する注意事項の説明。 
15:15 説明後、小部屋に移動。
15:30 4人のグループで、試験部屋の近くへ移動。廊下に椅子が置いてあり、そこでしばらく待機。まず、2人が面接に案内され、しばらくすると(前の2人が面接中に)部屋の前に移動、待機。中から声が聞こえてきて、緊張が高まりました。

(2)試験管の性別、推定年齢、国籍

外国人 50−60代くらいの女性。国籍は判別がつきませんでしたが、西洋人で、あまり笑わず静かに話す方でした。
日本人 20代くらいの若い女性。

(3)ウォーミングアップ

日本人試験官から、英語で”Please come in.”と言われ入室。荷物はすぐ隣の椅子に置くように指示がありました。こちらも日本人の方から”Could you tell me your name and where you came from?”と聞かれ、”I am ________. I’m from __________, Kanagawa.”と答えました。

(4)通訳の日本文 ひらがなとカタカナについて

ひらがなとカタカナは、表音文字です。 3世紀に中国から伝わった漢字をもとにつくられました。 漢字を崩したり、音をとったりしたものです。

(5)通訳

Hiragana and Katakana were made from Kanji. Kanji was introduced (importedと言った気もします。) from China in the 3rd century. Hiragana and Katakana took a part of Kanji or made from its sound.
「表音文字」は自信がなかったので、抜かして訳しました。

(6)プレゼンテーションのトピック

・ハッピーマンデーについて
・北陸新幹線について
・黒船について

(7)選択したトピック

「黒船について」

(8)プレゼンテーション

Let me talk about Kurofune or “black ships.” Black ships came to Yokohama(X)in the late 18th century- sorry 19th century. Matthew Perry…. (どんな文章で言ったか覚えていないです。)
At that time, Japan was taking the national isolation policy. Except for one place in Nagasaki-prefecture, Japan had completely closed its door to foreign countries. Black ships came to Japan to demand Japan to start trading.
=この辺りで1分経過=
People were really scared to see these huge ships. After this incident, Japan gave up its isolation policy. Black ships helped (X) Japan to open the country. And modernization called the Meiji Restoration started after that.

Thank you.

*(X)はとっさに出てしまいましたが、間違えたと思う箇所。

(9)Q&A

N: So let me ask you some questions.

N: Were black ships really black?
A: Yes, they were!
N: Oh it must have been so scary..

N What was the image of Westerners for Japanese people in that period.
A: うまく答えられず・・・
Because those Westerners looked so different from themselves,
they thought …….(つまる)
この時に外国人試験官が、「言ったらダメだよ」というようなジェスチャーをした気がしましたが、they were strangersと訳の分からない文を続けてしまいました。

N: You said Japan had the isolation policy. Were there any foreigners living in Japan at that time?
A: Yes, as I said in my presentation, there was a place called Dejima in Today’s Nagasaki prefecture. It was the only place where the Japanese government traded with some countries and also had some cultural exchanges.

ここであっさりと試験終了。
面接官とのやりとりは、会話が弾む感じにはなりませんでした。

(10)日本語での質疑応答

特にありませんでした。

(11)試験終了後のやりとり

外国人試験官に”Thank you for wearing Kimono. It’s beautiful” と言われました。
“Thank you so much”と答えましたが、”I love wearing Kimono”とか付け足せれば良かったなと後から思いました。

(12)終了後、退出してから解散までの手順

解散時間の16:45まで、受付時とは別の大部屋で待機。16:00頃に試験は終了していたので、45分間することもなく、暇でした。

(13)感想

着物を着ていきましたが、見回した限り他に着ている受験者はいませんでした。
印象は良かったかもしれませんが、待機室が大学の教室なので、椅子と椅子/テーブルの間隔が狭く、少し動きづらかったです。
思った以上に緊張しました。
特に前の受験者の声が教室の中から聞こえてきたときは、内容も若干伺えて、色々考え始めてしまいました。通訳、プレゼンともに練習のとき以上に、詰まってしまいました。面接の練習期間を通して感じていた勉強不足による情報のなさ、またそれを英語に変換する語学力の低さからか(なんとなく知ってはいてもアウトプットできない)自信を持って挑むことができなかったことが、今回の反省点だと思います。試験後、日本事情の本を読んで、今回の通訳問題(ひらがなとカタカナ)は、ほとんどそのままであることに気付き、もっとしっかりと読み込んでおけば良かったと後悔しました。
思うようにできず、悔しい思いが拭いきれない、というのが正直なところです。
最後になりますが、CELの先生方、スタッフの皆様、これまで大変お世話になり、ありがとうございました。駄文ですが、今後の参考になりましたら幸いです。

 

ページトップに戻る

次の受講生のレポートを読む>>