通訳ガイド(通訳案内士)2次試験レポート

受講生22
(1)試験会場到着から試験室入室までの手順
14:30~14:55が受付時間で、14:45くらいに受付をしました。待合室の席は、ほぼ埋まっていました。ガム・アメはだめで飲み物はOK、参考書もOKでした。
15時から5分くらいの説明の後、20人くらいで2番目の待合室へ移動、かなり歩かされました。ここでも飲み物OK、参考書OKでした。15:25に一番目のグループが出て行きました。私は二番目のグループだったので15:35くらいに出て行くのかなと思いました。また、出て行く1分前に知らせてくれて、参考書・飲み物を鞄の中に入れました。
面接が行われる教室の扉の傍に椅子があり、そこに座って、前の方が終わるのを待っていました。各部屋によって入室に若干の時間差がありました。
Jから呼ばれてGood afternoonと言いながら入室しました。椅子が3つあり、椅子に荷物を置いて下さいと英語で言われました。もう一つの椅子には紙と3本のボールペンが置いてありました。
(2) 試験官の性別、推定年齢、(外国人面接官はアクセントから判断して)国籍
N:40~50歳位 男性
J:30~40歳位 男性
(3) 自己紹介等のウオーミングアップのやり取り
Jから名前・生年月日を英語で聞かれました。
(4) 通訳の日本文
忍者には2つの役割があります。1つ目は・・・で暗殺・スパイ活動、2つ目は一般人になりきり・・・スパイ活動・・・
(5) 英語訳の再現
日本文があやふやで分かると思いますが、英語訳も何を言ったのか覚えていません。
(6) プレゼンテーションの3つのトピック
Jが3枚の紙を持って来てくれました。まず、見ると「日本の蒸気機関車」とありましたので鉄道ファンである私は即決。念のため、別の1枚見ると「忍者」とあり、通訳パートと同じようなトピックってあるのだと思いました。30秒の考察時間中になっていましたので、もう1枚は見ませんでした。
(7) 選択したトピック
日本の蒸気機関車
(8) プレゼンテーションの再現
・1872年に新橋~横浜が開通。1号機関車はイギリスから輸入。それはさいたま市にある鉄道博物館に保存されている。
・やがて、日本人の手で作られるようになった。D51が日本で最も数の多い蒸気機関車。
・D51と言ったので、なぜDなのかを説明(マニアックになりすぎ)。
・やがてディゼルカーや電車に置き換わっていたが、D51は海外にも渡ったと言ったところでタイムオーバー。
(9) Q&Aのやり取りの再現
Nが全て質問してきました。
N:イギリスと日本の蒸気機関車の違いは?
A:軌間が違う(イギリス:標準軌、日本:狭軌)ので、力はイギリスの方が上。
N:鉄道博物館の魅力は?
A:30台くらいの実車が見られる。ガイドを頼めば、より理解できる。
(10) 日本語での質疑応答の有無
ありませんでした。
(11) 試験終了後のやり取り
ありませんでした。
(12) 終了後、退出してから解散までの手順
Thank you very much. ありがとうございました。と言い、席を立ちました。扉のところでおじぎをして退室しました。その後、また、別の待合室まで移動、そこで面接を終えられた受験者の方々と30分ほど待ちました。16:30頃に解散となりました。
(13) 全体を通しての感想など
通訳パートの時点で、ちょっと厳しいかなと思いました。でも、諦めてはいけない、面接が終わるまでは全力でと考えました。そして、プレゼンパートでは神様が私にくださったようなトピックでしたので、黙っていては駄目だ、とにかく、喋らねばと思ったのが、逆にマニアックになり過ぎました。後から考えますと、観光SLが各地で走っていますとか、狭軌で苦労したから標準軌の新幹線ができたとか言えば良かったのにと思いました。
残念ながら、今回は準備不足のため、合格には届かないと思います。それでも二次試験まで到達しましたのは、江口先生・田中先生の厳しくも楽しい授業や、CELで知り合った愉快な仲間たちのお蔭です。ありがとうございました。