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通訳ガイド(通訳案内士)2次試験レポート

通訳ガイド(通訳案内士)2次試験レポート

受講生71

(1)試験会場到着から試験室入室までの手順

会場:昭和女子大80年館
-14:30 試験会場(昭和女子大80年館)1階のホールで受付待ち。受付開始の時間(14:30)になったら、順番にエレベータのあるところへ誘導され6F(受付)に上がった。
14:30-14:55 受付(エレベーター前の場所)にて受験票、筆記試験合格通知票、身分証明書(運転免許証)を提示して名札を受け取る(面接を受ける部屋番号と面接の順番○-△が記載されている)。受付の横の大きな部屋に番号順に着席。(この時間帯の全受験者?:30室弱×5名) 人数が多いので、トイレに行きたい人は5分おきくらいに男性、女性まとめて係員が部屋の外へ誘導。
15:00 試験の注意事項(あらかじめ机の上に置いてあったA4の用紙に書いてある内容そのまま)が伝えられた。
-15:10 10人弱ぐらいのグループ毎に(確か、1室から8室までの1番の人、次に9番から17番の1番の人という具合に)、一人ずつ名前を確認した後、面接会場により近い待機室に移動し(廊下と階段をかなり歩く)。そこで待つ。先ほどと同様の注意事項が告げられた。
-15:30前 各部屋の1番の人が呼ばれ、面接部屋の前に移動。部屋の前の椅子に着席。各部屋の前に椅子が2席(待つ人用)あり、そこに着席。始まる時には中から呼ばれますとの指示。
15:30 日本人試験官の方から入ってくださいの声で入室。英語で持ち物を机において着席してくださいとの指示。試験官に向かい合う席が3つあって、その横にメモ用の用紙(バインダーに留められたA4白紙1枚)と3枚のカードがあらかじめ置いてあった。その席の後ろに並べてあった机の上にかばんとコートを置いて着席した。 すぐ日本語で、通訳についての説明がありました。J:「これから私が日本語で話す文章を聞いて英語に訳してください。横に筆記用具があるので、メモを取っていただいて構いません。通訳は1分程度でお願いします。」そのあとすぐに日本語が始まりました。

(2) 試験官の性別、推定年齢、(外国人面接官はアクセントから判断して)国籍

外国人:50-60代くらいの女性(英米系?英米以外のアクセントは感じませんでした。物静かで丁寧な印象。)
日本人:30-40代くらいの女性。無駄なく、しかし急かすような感じもなく進行されました。

(3) 自己紹介等のウオーミングアップのやり取り

J: 確かPlease introduce yourself. と言われ、I am________. I live in _____ city. と返答。そのあと、何を言おうかと少し考えて一拍あいたら、How long does it take (to be here)と聞かれたので、1時間40分かかると答え、今日はそこからはるばる(all the way)来たの、それは遠いねとN試験官に受けていただいて、試験官2人がうなずいて少しなごやかな感じになってスタートしました

(4) 通訳の日本文

京都の祇園などの歴史的地区では、電線が地下に埋められています。電柱も撤去されています。また、コンビニエンスストアやファーストフード店の看板も落ち着いた色に変えられています。この地区ではそのように景観に配慮されているのです。

(5) 英語訳の再現

In historical district(s) such as Gion in Kyoto, electric lines are buried under ground. Electric poles are (also) removed. Signs of convenience stores and fast food stores are changed in color. Harmony with environment as historical region is considered.
こんな感じで答えました。もう少し、内容があったかもしれませんが覚えているのはこんなところです。複数形にしたか、意識がありません?(心配)。看板が‐‐としゃべり始めてから、Colors of とした方がよかったか等と思いましたが、言い換えはせず、こんな感じにしたと思います。最後の文は実際にどう表現したかあまり正確に覚えていません。配慮しているというところを、歴史的地区に合わすというような表現にしようと何とかひねり出した感じです。

(6) プレゼンテーションの3つのトピック

1.アイドル 2.金閣寺の建築様式について 3.中山道

(7) 選択したトピック

中山道
歴史、地理のトピックがあったらそれにしようと思っていたので、1, 2についてはあまり考えませんでした。2の金閣寺は知識が寝殿造り、書院造りしかなく、しかもあやふやというような感じで却下。1のアイドルは、すぐに思い浮かばなかったからスルー。今から考えると取り上げるアイドルを選ぶ余地もあって、話を作りやすかったかもしれないと思いますが。
中山道は、知識はあまりなかったのですが、たまたま最近見た「ブラタモリ」の軽井沢編の話で山道を歩いているところが、映像とともに頭に浮かんだのでそんな話を使おうと思いました。大名が通ったとか、碓氷峠のところは高低差があって急な山道等。

(8) プレゼンテーションの再現

In the Edo period, main roads such as Tokaido Highway and Nakasendo Highway are made (constructedとしたかな). Tokaido connects Edo and Osaka, Nakasendo connects Edo and Nagano. Feudal Lords must go and back often from their own regions to Edo, because his wife and children lived in Edo. Tokugawa shogunate forced feudal loads to do so.
There are difficult places to make road or to walk, such as Usui-Toge. There is very big difference in height at Usui-Toge. Lodging places are important to travelers using Nakasendo such feudal loads. Lodging town also was constructed for those who use the highway.
Now there are Shinkansen, high speed train, along with Tokaido, Nakasendo or other such highways. While it took 10 days to reach Usui-Toge from Edo then, now it takes only 1 hour.
Thank you.
実は、中山道についての知識は少なく、浮かんできた山道、特に碓氷峠を持ち出して話そうと思いました。5街道がどうのこうのとかの話も頭をよぎりましたが、使えそうなのでスルーしました。実際の表現はいろいろ違っていたと思いますが、イメージがある程度持てていたので、内容でつかえることはありませんでした。ただ表現する言葉は思いついたものを使うという感じで、適切だったかどうかあまり自信ありません。「参勤交代のため大名が通らないといけない街道を作った。たくさんの人が通るから、それなりの道と泊まる宿場町も必要だった。難所があったけど、頑張ってインフラを作った。今は、日本の技術が進み、ハイテク日本の象徴である新幹線が通っていて、何日もかけて通った道も、1時間で行っちゃうんだけど‐‐。」という話の筋が話しているうちにおぼろげながら見えてきたのでなんとかそこまで話し切りました。

(9) Q&Aのやり取りの再現

N:There are only 2 Highways or any more?
A:No. There are other Highways other than Tokaido and Nakasendo. For example, Nikko Highway. Nikko is an important place for Tokugawa bakufu. It enshrines the founder of Tokugawa bakufu, Tokugawa Ieyasu.
N:Are there any famous persons who used Nakasendo?
A:Matsuo Basho. He is a famous Japanese poet. And several Feudal Lords use this highway.
碓氷峠と関係する有名人はわからなかったので、全国を旅している松尾芭蕉をあげてみました。それだけではよくないかと思って、大名達が使っていたと付け加えました。
N: Did Feudal lords moved in a large group? Are there enough lodging places?
A:Yes, they move in a large group, so many inns are necessary. They need to build a large lodging town.
N:Could you let me know the name of the place near Usui-Toge?
A:I just forget the name. I am sorry.
N:No, it’s OK.
宿場町として、峠の下にある坂本の名前がでてこなかった(テレビで言っていた名前を思いだそうとしたけど覚えていないから出てこなくて当然)ので忘れたと答えたが、峠の上にある軽井沢を答えるべきだった(ちょっと慌てていたようです)。試験官の方は、いやいやいいよという風に、手を振って気にしないでという合図をくれた。I will let you know laterみたいな答えをしようかと思ったが、これで終わりですと伝えられたのでそこで終了となった。

(10) 日本語での質疑応答の有無

ありませんでした。

(11) 試験終了後のやり取り

終了ですという案内があったので、
Thank you for having a good time. It was a good interview.と言って部屋を出ました。2人の試験官ににこっとしていただきました。

(12) 終了後、退出してから解散までの手順

口述試験の部屋を出たら、廊下に椅子が並べてあるところで一時待機して1番の人がそろうのを待ってから、大きな部屋へ誘導された。そこで全員(100名以上)が揃うのを待って16:30頃解散。その階のエレベーターまでは係の方の誘導でした。

(13) 全体を通しての感想など

試験官の方はお二人とも、ときどきチェックシートに目を落とすだけで、基本的にはこちらと目を合わせてお話ししていただきました。拙い表現のところもあったと思うのですが、あれっというような感じを見せられることはなかったと思ったのであまりプレッシャーを受けずにすみました。むしろこちらが言いたいことを何とか表現できた時ににこっとしていただく感じがあって、こちらがほっとするだけでなく、試験官もほっとしてくれることもあるのかなとも思いました。
通訳では、練習で時間が少しオーバーすることが多かったので、詰まらないように自分で少しせかしながらやりました。時間内には入りましたが、適切に言えたかどうか(複数形とか文の始めと終わりがつながっているか等)はわかりません。余裕をもってしゃべるには、まだまだ練習がたりない気がします。
プレゼンでは、あまり迷わずに、中山道に決めました。最近見たテレビの内容が浮かんだので、迷わなくてよかったと思います。最近、日本文化とか、歴史、経済などテレビで解説している時に興味と関心をもって見ています。少しは、日本文化親善大使の自覚が生じてきたかもしれません。
他に印象に残ったのは、試験の運営です。すごい大人数ですから、口述試験の部屋に行くまでに2か所の待機室を使い、口述試験の部屋から解散するまで、2か所の待機場所があり、その待機場所と試験の部屋の間は係の人が必ず誘導していました。とてつもない労力がかかっています。
1年前、初めて日本事情の授業を見学させていただき、これは良いからこれをやろうと思いました。田中あゆみ先生の1次試験英語コース、江口先生の日本事情コースVer.2、曽根先生の2次試験面接試験過去問解説セミナー、模擬面接クラスでのDan先生はじめ多くの先生方、すべての授業が助けとなりました。自分のトレーニングをどうやればよいかというのがわかってきたような気がしますが、すでに2次試験直前でした。訓練を初めて、道は遠いことと、少しずつではあるけれども、進歩はできるということもわかりました。また、この頃、特に日本文化、歴史、政治経済など、自分でどこまでわかっているのかと気になります。武士が支配していたのに、天皇はなぜ続いたのか?自衛隊は軍隊とは違うのか?中国・韓国は日本より儒教の影響が強いことと最近の振る舞いは関係あるのでは?とか、自分で勉強してもっと納得しないといけません。海外の方に説明する前に自分で詰まってしまいます。通訳案内士に必要なものについてやっと目覚めさせていただいたのはCELの授業のおかげです。自分の未熟さがどんどんはっきりわかってきているという段階ですが、なんとかレベルアップしたいと思います。

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