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2020年度
通訳ガイド(全国通訳案内士)2次試験レポート

受講生7

(1) 試験会場到着から試験室入室までの手順

(成蹊大学)11:00~12:00 面接、受付10:00~10:25

●受付後、14-(2)のネックストラップを首にかける。19組までありました。
●全体待合室にて待機(席指定)
・すべての電子機器の電源オフ(通信機能のないもの含む)
・トイレは手を挙げ、係員同行
・水筒やペットボトルなどの飲み物のみ可(ガムや飴はNG)
・受験者同士の会話禁止
・参考書類は見て良い
マウスシールドを渡されて、それに紐を通して完成し、顔にかける。耳が痛くないように紐の長さを調節した。
●各階待合室での待機(席指定)
全体説明の後、各階待合室に列を組んで移動の上、自分の番まで待機
(各階待合室での条件は、全体待合室と同じ)
マウスシールドが鼻に当たるぐらいに密接して、これでは口を動かしにくいし、自分の声が跳ね返って遠くに届かないのではないかと心配になり、あごの箇所の角度を変えようと懸命にやった。ただでさえ声が小さいと言われているのに、これ以上自分の声を小さくしたくなかった。近くに居る係の女性に、自分の持って来たマウスシールドをして良いかと尋ねた。良いと言う返事だったので、これで安心と思ったが、その後、彼女は誰かと相談してやはり駄目だと言いに来た。
●面接室前、廊下の椅子で待機。
ここでもマウスシールドの角度をもっと何とかならないものかと頑張っていたら、突然、日本人試験官が部屋に入るよう呼びに来た。すっかり慌てて、入室いきなりThank you.と言ってしまった。本来入ったらGood Morningと言うつもりでいたのに自分で狼狽してしまった。

(2) 試験官の性別、推定年齢、(外国人面接官はアクセントから判断して)国籍

J:女性。マスクをしているのでよくわからない。
N:白人男性。マスクをしているのでよくわからない。分かりやすい英語。Castleの発音からしてアメリカ人ではない。全体に英国人の発音とも違うように思う。

(3)自己紹介等のイントロのやり取り

椅子に荷物を置く段階でようやく落ち着きを取り戻して、Good morningと言った。
外国人面接官からGood morningと返ってきた。
右の椅子に、バインダー付きの紙があった。
2人ともマスクをしていた。試験官もマウスシールドだと思っていたが、マスクだと聞き取りにくいのでこれは大変とすっかり悲観した。
日本人面接官が、マスク越しになにやら言ったが、全然わからず、一瞬どうしようかと思った。マスク越しではよくわからないので、それに自分は耳が遠いので大きな声で言って下さいと頼むか、迷った。それでも多分自己紹介をするように言ったのだと思って、名前と住所、生年月日を言った。このあたりは自信もなく声も小さく、完全に不合格レベルであった。
日本人面接官より、日本語で「今からプレゼンの紙を渡します。30秒後に2分間のプレゼンを始めてください」と指示。これは何とか聞き取れた。

(4) プレゼンテーションの3つのトピック

・?
・レジ袋の有料化
・駅伝

(5) ご自身の選択したトピック

・駅伝

(6) ご自身のプレゼンテーションの再現

 消去法で駅伝にしたが、そもそも駅伝は英語で何というのだろうか、そこから悩みが始まった。咄嗟にrelayed marathonなる言葉を作り出して話し始めた。長い距離を走って次の人に代わります。たすきの言葉がわからず、身振りでたすきの様子を示したが、結局ribbonという言葉を使ってしまった。駅伝は日本ではpopularで多くあるが、箱根駅伝が有名です。東京から箱根までの距離は100km、最初の日が東京から箱根、次の日が箱根から東京。というところでようやく英語らしい表現が出来るようになった。

(7) Q&Aのやり取りの再現

N: 皆同じように平地を走るのか?(試験官は箱根駅伝を知っているらしい。助け船を出してくれたみたい。)
A: 思わず、That’s a good point. 箱根は坂道になる、と言った。
N: Can I run? (これも助け船)
A: Sorry, I didn’t say an important thing. That is a contest of university. と答えた。日本人試験官の目が笑っていたように思う。

(8) 通訳の日本文

新幹線は1964年に開通しました。その後北は北海道の函館まで、西は九州の鹿児島まで延長されました。新幹線は時間が正確です。
(もっとあったのだが、覚えているのはこれぐらい。日本人試験官は最初とは様変わりで、大きな声でゆっくり、はっきりした声で言ってくれた。)

(9) ご自身の英語訳の再現

Shinkansen, the bullet train opened in 1964. It extended to Hakodate in Hokkaido, to the west Kagoshima in Kyushu. Shinkansen is very punctual.
メモだけを見て言うのはいけない、と言われていたのに、多分ずっとメモを見ながら言っていたと思う。ただ、最後のpunctual のあたりでは相手の顔をしっかり見ていたのが、すこしの救い。

(10) situationの内容 

外国人観光客はその日、姫路城を見て広島に行く予定でしたが、豪雨のため新幹線が午前中動かないことがわかりました。どうしますか?

(11) 試験官とのrole play応答内容の再現

A: When do you want to get to Hiroshima? 
N: I want to get to Hiroshima today. Tomorrow I will leave Hiroshima.
A: Then It will be all right. You can see Himeji castle this afternoon and get to Hiroshima.
N: Is the train OK?
A: Don’t worry. I will ask the station. You don’t have to pay extra charge.
N: I saw Osaka castle fully yesterday. Isn’t it enough?
A: They are Quite different. Himeji castle is old and beautiful. Osaka castle is only a replica.
N: Then I will expect Himeji castle.

(12) 追加のQ&A(もしあれば)

特に無し。

(13) 終了後、退出してから解散までの手順

終わりの合図があって、すぐ試験官にThank you very much. と言った。本当に感謝していた。彼のお陰で何とか会話が出来たのでホッとした気持ちだった。
「自分の荷物以外は全て置いて(ペンやメモした紙などは持ち帰らず)退出するよう」、日本人面接官から日本語で指示。
荷物を持ち立ち上がり、面接官に向けてI am very happy to be here with you. ともう一度言って、日本人試験官と共に部屋を出た。彼女にも「ありがとうございました。」と心からのお礼を言った。 
●2番手の中では私が最後だったらしく、すぐにほかの受験者と一緒に1階の待機所まで移動。
●11:00~12:00の全員が揃うまで待機。その間、アンケートに記入。
●12時10分頃、解散。係員の指示に従い、順番に退室

(14) 全体を通しての感想など

来年以降の人にとっては関係ない事ですが、私にとって、今回の受験はコロナとの戦いでした。耳は遠いし、声は通らない声だし、日頃から大きな声を出してないので地声が小さくなって、模擬面接の時からもっと大きな声で、と何度も注意を受けていました。本番でも声が小さかったようで、試験官が身を乗り出してきたのを感じたほどです。
 私が不合格になるとしたら、声が小さかった事と、最初のプレゼンテーションの躓きが原因だと思います。Presentationの問題では準備していたジャンル(歴史・地理・観光地・伝統芸術・伝統品)に当てはまるものが何一つなく、不本意な結果になったと思います。(5年間の全ての組合せを見ても大丈夫の筈でした。)運がなかった。試験がコロナの時期にあたったのも運がなかったという事でしょう。
 逆に合格するとしたら、声の小さいのは大目に見てくれて、最後の方のrole playを重視してくれたからだと思います。自分にとって、声が聞こえないという事もあって、終始椅子から身を乗り出して会話していました。相手の言う事を一生懸命に聞き、対応しようとしていることはよく伝わっていたと思います。この姿勢を重く見てくれたなら、という希望を持っています。模擬面接で受けた2人の外国人講師から、Grammatical CompetenceとDeliveryについて良い評価を受けて、Good Englishと褒められたのを頼りに望んだ筈でした。You seem to be enjoying.とも書いてくれて、今回も会話を楽しめたという気がします。
 外国人試験官が親切だったのは運が良かったと言えます。彼の胸一つで自分の合否が決まるので、彼はどういう印象を持ったのか知りたいです。

 

 

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